変容 (岩波文庫)のレビュー
老いと性を描いた昭和文学の傑作
わが国の近代文学のなかで、老年の性を描いた傑作には、谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」や川端康成の「山の音」「眠れる美女」などをあげることができよう。谷崎や川端とは異なり、伊藤整は、ジェイムス・ジョイスの流れを汲む心理描写で老いと性の問題に鋭く迫る。「変容」は、「氾濫」とともに伊藤整の代表作であるばかりでなく、昭和文学の傑作として今でも読む者の心をうつ力を持っている。
ある種恋愛の普遍的本質があるのかもしれませんね。
変容 伊藤整 岩波文庫 文庫初版1983
伊藤整(1905−1969)
初出は1967−翌年にかけて雑誌「世界」に連載されたもの。68年に単行本化
読んだものは2008年の8刷。
簡単に言えば、60歳を前にした男の女性遍歴の独白と人生論。それが400ページを超える本書の中に詰め込まれている。何が正しい、何が悪いという基準は本書には必要ないのであろう。男の我ままや狡さも見え隠れするようにおもう。
恋愛に決まった形は必要であるはずがないのであるから。
主人公より先輩の画家が言う「老人の世界は、一つ一つのことが新しい発見であり、体験なのでして、たとえば私が永年描き慣れて来た人間の女性の美しさというものも、ここに来ると違ってみえるのです」
主人公が別のところで「私もやがて六十になる。残り少ない生の期間を、生きている事の証明である感覚に訴えるものを追いもとめることを許してもらおうと思う」
また「性は、それ自体が善とか悪のけじめをなす一線だとは、今の私には感じられない。男と女が同じ方向に傾いた心を持つとき、二人は性をきっかけに結びつくのだ。性は人間の接近のきっかの一つでしかないと今の私には思われる。老齢が近づき、性の力が衰退してゆくとき、残り少ない発動の力を、さらに正と邪によって区別し、抑圧し、圧殺することへの本能的な嫌悪が私の中に生きている」
そして最後の女性になるであろう彼女に向かって吐露する「共通の過去を持ち、何でも話し合い、何でもすることができて、しかも、いつでも他人でいられる男と女って、まれにしかあるものでない。これからさき僕は、ときどき淋しくなると君に逢いたくなるにちがいない。どうぞお願だから、そういうとき僕にやさしくしてください」
伊藤整(1905−1969)
初出は1967−翌年にかけて雑誌「世界」に連載されたもの。68年に単行本化
読んだものは2008年の8刷。
簡単に言えば、60歳を前にした男の女性遍歴の独白と人生論。それが400ページを超える本書の中に詰め込まれている。何が正しい、何が悪いという基準は本書には必要ないのであろう。男の我ままや狡さも見え隠れするようにおもう。
恋愛に決まった形は必要であるはずがないのであるから。
主人公より先輩の画家が言う「老人の世界は、一つ一つのことが新しい発見であり、体験なのでして、たとえば私が永年描き慣れて来た人間の女性の美しさというものも、ここに来ると違ってみえるのです」
主人公が別のところで「私もやがて六十になる。残り少ない生の期間を、生きている事の証明である感覚に訴えるものを追いもとめることを許してもらおうと思う」
また「性は、それ自体が善とか悪のけじめをなす一線だとは、今の私には感じられない。男と女が同じ方向に傾いた心を持つとき、二人は性をきっかけに結びつくのだ。性は人間の接近のきっかの一つでしかないと今の私には思われる。老齢が近づき、性の力が衰退してゆくとき、残り少ない発動の力を、さらに正と邪によって区別し、抑圧し、圧殺することへの本能的な嫌悪が私の中に生きている」
そして最後の女性になるであろう彼女に向かって吐露する「共通の過去を持ち、何でも話し合い、何でもすることができて、しかも、いつでも他人でいられる男と女って、まれにしかあるものでない。これからさき僕は、ときどき淋しくなると君に逢いたくなるにちがいない。どうぞお願だから、そういうとき僕にやさしくしてください」
灰になるまで
この本の主題をひとことで言ってしまえば、かの大岡越前が母親に問うたというあの有名な問いになる。伊藤整は、エゴイズムとの闘いを作品のひとつの主題に掲げた作家である。そして男女というふたりがセックスを通じてエゴイズムの脱却を図り、相手を真の意味で尊重しあうことができる、というロレンスの思想に影響を受けていたことも知られている。本作は、老年の性という重い事実を正面から取り上げながら、年を経ることでその性が青年のなまぐさみを脱し、性欲をみたすために肉体を求める、というエゴイズムから逃れることができる、という意味で、老いを肯定的に描いているとも読める。これから高齢化社会がますます進み、かつてタブーであった老いらくの恋というものも、肉体的な関係を含めてますます増加してゆくし、社会的にも問題になってゆくだろう(なぜなら財産相続が絡んでくるから)。そのような時代において、老人の性を正面からとらえ、老いてゆくことの価値を肯定した本作は、現代的な意味を失っていないものである。
しかし、伊藤整のほぼ全作品を読んできた読者として言わせていただけば、ある意味本作は伊藤整の「手すさび」であり、彼の作家としての最後の到達点というわけではない。本書に触れる機会のあった方は是非彼の最高傑作「氾濫」に進まれることを強くお勧めしておきたい。
しかし、伊藤整のほぼ全作品を読んできた読者として言わせていただけば、ある意味本作は伊藤整の「手すさび」であり、彼の作家としての最後の到達点というわけではない。本書に触れる機会のあった方は是非彼の最高傑作「氾濫」に進まれることを強くお勧めしておきたい。
大人の恋愛小説の本家
老年の性を扱った作品と評されることが多いが、むしろこれまでの人生、記憶、時間を出会う女性によって回顧し精神的営みを総括している主題だと思う。作家は処女作に向かって成熟する、といわれる。「変容」は処女詩集「雪明りの道」と密接な関係にあるとおしなべて指摘されている。そっと大切にしていたものを取り出して最後に慈しんでいる作品ということであろうか。
また、相手となる女性も単に回想の道具としているのではなく、主人公の日本画家と渡り合う内面、キャリア(それも芸術家であること)をもつことが要請されている。女性に対しても人格を要請しているということだ。
渡辺淳一の諸作品は「変容」を敷衍し、大衆化したものではないか。中島義道は立原正秋と伊藤整を並べて評していたので「残りの雪」を読んでみた。しかし、「変容」は画家を主人公にしている。金に飽かして骨董をやっていやみに芸事をひけらかす「残りの雪」とは大きく違うのである。「変容」の主人公にすれば「所詮(芸術に携わった人以外である)君の味わう人生こんなものだった」と(すごいことであるが)いいたくなるだろう。もちろん登場する女性も違う。「残りの雪」ではなぜ魅力的なのかよくわからないまま、誉められて進んでいくが「変容」の女性には生きてきた背景が書き込まれている。
また、相手となる女性も単に回想の道具としているのではなく、主人公の日本画家と渡り合う内面、キャリア(それも芸術家であること)をもつことが要請されている。女性に対しても人格を要請しているということだ。
渡辺淳一の諸作品は「変容」を敷衍し、大衆化したものではないか。中島義道は立原正秋と伊藤整を並べて評していたので「残りの雪」を読んでみた。しかし、「変容」は画家を主人公にしている。金に飽かして骨董をやっていやみに芸事をひけらかす「残りの雪」とは大きく違うのである。「変容」の主人公にすれば「所詮(芸術に携わった人以外である)君の味わう人生こんなものだった」と(すごいことであるが)いいたくなるだろう。もちろん登場する女性も違う。「残りの雪」ではなぜ魅力的なのかよくわからないまま、誉められて進んでいくが「変容」の女性には生きてきた背景が書き込まれている。
色恋に年は関係ない
私はまだ30台で自分が老齢となったとき、色恋に対してどうなるのかわかりませんが、きっと年を重ねても変わらないのだろう。年を経るごとに世慣れてしまうのだろう。数十年後にもう一度読み返してみたい本です。
